ウルムの英雄 ~ ゾフィーとハンス・ショル

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2009年から2012年にかけてドイツに滞在し、ウルム(ULM)という街でポドロギー(Podologie)を学びました。

その際に書いていたブログをこちらにリライトしています。

それに伴い、前記事は徐々に削除していきます。

ここで掲載されている情報は、その当時のものですので現在変わっている可能性があります。

また私自身の認識が間違っていることも考えられますので、ご自身でも常に最新の情報をご確認下さい。

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ウルムの英雄 ~ ゾフィーとハンス・ショル  2012.1.27記事より

 

丘の上より
遠くに見えますのが大聖堂

私の住んでいる町、ウルム(Ulm)

ウルムって言ってピンとくる方は少ないかと思いますが。。

実はウルムには、高さ161.60mの、世界一高いと言われる大聖堂があります。
高さで見れば、ケルン大聖堂より4cm高いけど(ほんとにビミョウな差。。)、大きさで言えばケルン大聖堂の方が大きいらしいです。。

また、ウルムは、かのアインシュタイン(Albert Einstein)が1879年に生まれた場所で、記念碑などもいくつかあります。アインシュタインの名のつくカフェや、通りなんかも結構見かけます。
翌年の1880年にはすでに家族でミュンヘンに引っ越しているにも関わらず、ウルムの人々にとってはアインシュタインがウルムで生まれたことは、とても誇らしいことなのです。

そして、その他ウルムで忘れてならないのが、ゾフィー・ショル(Sophie Scholl)とハンス・ショル(Hans Scholl)の兄弟です。

歴史には様々な英雄が登場しますが、第二次世界大戦中、反ナチスを掲げるグループ、「白バラ ”Die Weisse Rose”」を結成した、ショル兄弟もその中のひと組みです。

彼らは、5人兄弟で、ゾフィーが10歳位の時、家族でウルムに引っ越してきます。
幼少期は、リベラルな両親の下、南ドイツののびのびとした環境で過ごしたようです。

ただ、ナチスに批判的だった父親、ロベルト(Robert)の影響もあり、ゾフィーは、当時読むことを禁じられ、一般には入手不可能だったドイツの文豪、トーマス・マン*の著書や、ユダヤ人の作家、ハインリヒ・ハイネの作品に触れるなどして、少女時代から反ナチス思想の基盤を築いていました。

ハンスはゾフィーの兄で、フランス侵攻や東部戦線(独ソ戦争)に従軍し、ポーランドでのユダヤ人居住区の実体や、東部戦線の惨状を目の当たりにします。
ヒトラー政権の実情に失望したハンスは、当時医学を勉強していたミュンヘン大学にて、他の仲間たちと「白いばら(”Die Weiße Rose”)」組織を作り、反ナチス、反軍国主義を訴えるビラを作り、おもに南ドイツで配るようになります。

1942年から始まったこの「白バラ」の抵抗運動に、同大学で哲学と生物学を学ぶ為にミュンヘンにやってきたゾフィ―も参加します。

第六回目のビラをミュンヘン大学にて配っていた時、ゾフィ―がばらまいたビラが、ナチス党員であった大学職員にみつかり、ハンスとゾフィ―はゲシュタポに引き渡されてしまいます。
一緒に活動していた仲間のクリストフ・プロブスト(Christof Probst)を守ろうとした二人でしたが、翌日にはクリストフも逮捕され、1943年2月22日、彼らは共に反逆罪を言い渡され、その日に処刑されます。
この時Sophieは若干21歳でした。

同年、同じく仲間のグラーフ(Willi Graf)とシュモレル(Alexander Schmorell)およびフーバー教授(Kurt Huber)もそれぞれ反逆罪で死刑となります。

ビラ配りは、こうして第六版で終わってしまいますが、それまでに白バラが播いた
ビラは、その後連合軍の手に渡り、ドイツに降伏を要求する際に使われたそうです。

彼らが命を掛けて戦ったことは、決して無駄ではなかったのですね。

 

*Sophie 画像お借りしました。

 

戦後、ドイツでは特に、彼らは英雄とされ、ドイツ国内には、Geschwister Scholl Schule(ショル兄弟の学校)という名前の学校が、いたるところにあります。
ウルムには、彼らの記念碑、美術館などもあります。

ドイツにいると、たまに、「あなたはネオナチさんですか?」と尋ねたくなるような人や、ゲシュタポと間違えそうな人に出会うことがあります。
頭カチコチで、度を越した合理主義、そして超・ナショナリストと三拍子そろっている人。
ゲシュタポタイプは、それに、平気で嘘をつけるポーカーフェイスと、強力な支配者に迎合する素質が加わります。
そういう人を見ていると、なぜドイツで、ヒトラーがそれほど支持されたかが、納得できる気がします。
そういう時は、Scholl兄弟や、迫害されたユダヤ人の方々のことを考えるようにします。

あの、誤解のないよう言っておきますが、Scholl兄弟もドイツ人だし、もちろんドイツ人の中にもたくさん優しい人、思いやりのある人がいますし、ネオナッチー気質はあくまで少数です。
ただ、合理的というのは多かれ少なかれ、皆そうでしょうか。。国民性なのかもしれません。
少なくとも、私が今まで出会ったドイツ人の方々は、良し悪しは別として、みんな合理的に物事を考えているように思います。

ショル兄弟はリベラルな考え方ができたのと同時に、ドイツ人の一番素晴らしい長所、自分の意思を貫く、いい意味での頑固さ、本当の精神的なタフさ、強さを持っていたのだと思います。

そういう英雄とは、時代を超えて、私たちに勇気を与えてくれる存在なんですね。

彼らの勇敢な行動が、ずっと忘れられないように、
南ドイツの片隅、ウルムから祈りを込めて

 

 

* トーマス・マン「魔の山」など多数著作を残しましたが、常に反ナチスの姿勢を崩さず、ヒトラー台頭後は国外に逃亡し、ドイツでの財産や国籍は剥奪された後も、国外からヒトラーの軍事主義を批判し続けました。

** 映画にもなっていますので、詳細はでどうぞ

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