防災グッズに忘れてならないもの ー 歩きやすい靴! (前編)
東日本大震災が起こった2011年の3月11日、
どのように過ごされましたか。
私はドイツから帰国中で短期バイトをしており、
東京のど真ん中のオフィスの18階に居ました。
忘れもしない、ちょうどトイレに入っていた時でした(笑)。。
突然、今まで体験したことのない大きな揺れを感じました。
耐震性の高いビルのため、しかも18階で、余計に揺れたのかもしれましんが
立っていられないほどでした。
幸い周りには大きな被害もなく、無事ではありましたが
その後も大きな揺れが何度もあったため、近くの公園にみんなで避難しました。
そこにはたくさんの人々がヘルメットをかぶったりして集まっておられました。
割と地震には慣れていましたが、その時初めて怖いと思いました。
そのまま仕事は終了、全員帰宅となり、私も千葉の船橋の実家へ帰ることとなりました。
しかしJRも地下鉄も電車は全部止まっており、
タクシー乗り場は長蛇の列。
しかも道路は完全に渋滞しており、ほとんど止まりっぱなし状態。
何時間か東京駅で他の同僚と列車の運行再開を待っていましたが、そのうち
JRの構内では、ここも閉めるので出ていくようにとアナウンスが流れ始めました。
電波状況も悪い中、実家と連絡を取りつつ、
取りあえず歩いて帰ることにしました。
30KM弱の道のり、その時は何時間かかるか分かりませんでしたが、
当時はマラソンをしたり鍛えていたので、なんとかなるだろうと
なかばチャレンジのつもりで決心したのでした。
しかしその時に履いていたのは、ハイヒール!!
とてもじゃないけど30キロの道のりは歩けないから
まず近くのシューズ売り場に行きスニーカーを買うことに。
同じ思いの方がたくさん居たらしく、靴屋さんは大賑わいで
選べるスニーカーもわずかとなっておりました。
背に腹は代えられないので、デザイン問わず、少々お高くても足に合った、丈夫なものを選びました。
飲料水と万が一の時のエネルギー補給に飴なども購入し、
地図や標識を頼りに、お江戸を後にして船橋に向かいました。
同じように千葉方面に歩いて行く人が大勢居られたので、
知らない人々ではあっても、方向が一緒だと、なんだか心強く感じました。
途中、父から連絡があり、車で迎えに来てくれていたそうで
市川を過ぎたあたりでピックアップしてもらえました。
結局、5時間位歩き続けたのでした。
長くなってしまったので、後半に続きます。
お読み頂き、ありがとうございます!
よい一日をお過ごし下さい。